Jogga

【本】古い戯曲本の間から、古い芝居の切符が出てきた。

October 9, 2015 11:21 AM jammy  演劇

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第15回岸田国士戯曲賞を受賞した唐十郎さんの作品『少女仮面』の戯曲本を、古本屋オンラインで購入。

夜中にパラパラとめくりながら燦爛たる台詞を夢中で追っていると、本の間から栞が落ちた、と思ったら芝居の切符だった。氏がかつて主宰していた劇団・状況劇場の切符。演目は『唐十郎版 俳優修業』、整理番号857番、1,300円。半券がそのまま残っている。切符の意匠は、当時状況劇場のポスターなどを手掛けていたゲージツ家・篠原勝之さん(だと思う)。

1977年に上演された作品の切符が、昭和52年(1977年)に第二版が出た戯曲本の間からこぼれ落ちた。真夜中にドキッとした出来事です。

【映像】ビーだま・ビーすけの大冒険

September 5, 2015 9:15 AM jammy  今日のこと

ピタゴラ装置史上初めての、物語があるピタゴラ装置『ビーだま・ビーすけの大冒険』。浜崎貴司が歌う曲もいいです。


【演劇】技術の無駄遣い演劇―鈴木林業第3回事業『PARA』に想う―

September 4, 2015 9:42 AM jammy  演劇

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9月、10月、11月は長野市門前界隈で楽しみな演劇が色々。先陣を切るのが劇団・鈴木林業。第3回公演『PARA』が9月12日(土)・13日(日)@ギャラリー花蔵で上演される。第一次産業を冠にしたこの劇団は、その枠から大いにはみ出した"演劇&音楽ユニット"であり、主宰する2人の若者は演技力に定評のある役者でもある。

ここ数ヶ月、夜な夜な若者たちが稽古場に集まっては何かコソコソやっているなという印象はあれど、一体どんな芝居をやろうとしているのかは未だによくわからない。演劇ですらない気がしてきている。稽古場に散乱する小道具、巨大な装置、触ったら怒られそうな機材。これらの断片をヒントに劇の骨格を導き出そうとするも、やはりよくわからない。舞台の真ん前にマイクスタンドが立っている。立派なスピーカーがある。ギターも置いてある。演出家がふと「歌詞書かなきゃ...」と独り言ちる姿を目にした時もある。

勇気を振り絞って演出家に聞いた。「演劇やるんだよね?」と。一応確認しておいた方がいいのではないかと思ったのだ。マイク、楽器、つまみだらけの機材、スピーカー、「歌詞書かなきゃ...」―。演劇作ってたつもりがいつの間にか新曲作ってた、みたいなことになっているのではないか。であれば早く教えてあげなくてはという老婆心からの問いであって、決して一言居士を気取ったわけではない。演出家は薄気味悪い笑顔で「ええ、まぁ」とだけ答え、裾花川に立ち込める夜霧の中に消えていった。あの時の笑顔、まるで人工甘味料、そう、たとえばパラチノースを口にした時のような笑顔は、未だに小便をしている時などにふと思い出す。

そして気付く。そうか。すでに劇は始まっているのだな、と。パラチノースのような笑顔が鈴木林業第3回事業・PARAの始まりだったのだ。パラチノースのパラ......。否、パラチノースはpalatinoseか......。わからん。ますますわからん鈴木林業。『PARA』でわかっていることといえば、5人くらいの役者が演じたりしながら高度な技術を無駄遣いする劇、ということくらいだ。


パラレルワールドに迷い込んでしまったような、目眩を感じるほどのパラドックスを目の当たりにしたような、参加したくもないパレードに無理矢理参加させられるような、種々雑多な"PARA"がパラシュート部隊よろしく次々と落下してくるであろう鈴木林業第3回事業『PARA』、9月12日(土)・13日(日)@ギャラリー花蔵で上演。公演情報などは鈴木林業公式サイトにて。色々な技術が登場する技術演劇なような気もするが、やはりわからない。

劇の事前情報を盛り込んだ記事にしたかったのに、本気で何をやらかそうとしているのかわからず、すべて憶測で書いた。パラチノース。

【演劇】カナリアの種類―ネオンホールプロデュース公演『カナリア』―

August 31, 2015 8:53 AM jammy  演劇

新興宗教団体ズラした殺人集団の拠点に強制捜査が入った時、捜査の先陣を切って突入したのは2羽のカナリアだった。毒ガスに敏感なカナリアが、命懸けで人間に危険を知らせたわけだ。そのカナリアがどうなったのかは知らない。ただ鳥籠を持った捜査員の姿を鮮明に記憶しているだけのことだ。20年も昔の話。

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ネオンホールプロデュース公演④
「カナリア」
作:黒岩力也
演出:大沢夏海(ネオンホール)
キャスト:小川哲郎、青柳真優美、あさこ、Abnormal system
舞台美術:下平千夏


「あたしのカナリアを見ませんでしたか。」

演出家滞在型の演劇創作企画「ネオンホールプロデュース演劇公演」は4回目になりました。プロジェクトが始まったのは2014年3月。1年半で4本というハイペースで演劇作品を創作することに私たち自身が驚き、この創作のモチベーションはなんなのだろうかと、自身に問いかけつつネオンホールの壮大な好奇心にみちた実験劇場に身を任せて今回も新しいチャレンジをします。
現代演劇の"演出"ということについて、考えたり実験したりする中で、プロの演出家を招いて創作するところに落ち着きそうな気配がありました。しかしまだ、長野で新たな才能を見いだしたいという欲望も捨てきれず、今回の公演はその小さな光を夜空に見つけるようなものだと思う訳です。

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ネオンホールプロデュース公演『カナリア』を観劇。

内向の世代的味わいのある、観念形態から意識的に距離を置く人々が「置換」によって割り振られた役割を全うしながら、誰の夢ともつかぬ夢の中に居場所を求める姿を、観る人に優しい構造で伝える不条理劇。不条理というほど条理が立たぬわけでもなく、かといってこれが条理なのかと言われるとモゴモゴっとしてしまう演劇は、白い男と青いライター売りの少女、赤い老婆と黒い子供の4人(もしくは3人と1羽、もしくは3人と1匹)が組んず解れつ「私は何者なのか」を主張し合い、時に家族となり、時に他人となるありさまを、抑えに抑えた演技と演出でぶっこんでくる80分であった。

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この世にあるすべての色を「混合」することで生み出せてしまう白、黒、青、赤、黄(ややオーバーだが)。"カナリアがいない"というワンフレーズで、これから始まる演劇が片手落ちの、欠損した、不完全な世界を描きますよというエクスキューズを劇の進行になじませながらお知らせしていく、というなんともスマートなやり口が素敵だった。

こんな捉え方もある。カナリアは、毒の世界からいち早く逃げ出してしまった。毒に気付かず居座り続けた結果、「頭の中まで真っ白になってしまった男」と「ライターを10個3円で売ると言い出す青い少女」と「老婆でもないのに老婆だと思っている赤い女」と「自己の発達を拒み子供でありつづける中年男」の醜態を晒す劇性と毒性を孕んだ劇。

こんな考え方もできる。カナリアはどこから逃げたのか。恐らく籠から抜け出し、窓から飛び出した。名前や立場をCtrl+H(置換)し、カナリアをCtrl+F(検索)し、虚実をCtrl+G(ジャンプ)し、それぞれの色を持った小部屋=セルに閉じこもりながら、他のセルとAlt+M(マージ)し合い、Ctrl+Y(分割)していく人々。無数の糸が車輪と交差した舞台美術をインターネットと見立てるのであれば、そして鳥籠の格子をエクセルの行と列に例えるのであれば、この劇はまさしく、コンピューター演劇、いや、エクセル演劇、いや、虚と実を自在に行き来する、ショートカット演劇ではなかろうか。

......。

カナリアは交雑を繰り返した結果、物凄い数の品種がいる。色、大きさ、鳴き声が異なる数多のカナリア。ネオンホールプロデュース公演『カナリア』は、解釈の交雑を繰り返し、さまざまな答えを導き出すことができるカナリア演劇だった(これも無数の解釈のうちのひとつ)。

(了)


[仕事]信州大学工学部謎解きキャンペーン

August 24, 2014 1:10 AM jammy  会社のこと 長野

信州大学工学部謎解きキャンペーン』、弊社にて企画・演出・ライティング・映像制作をお手伝いさせて頂きました。
謎を解くために学部のWebサイトやパンフレットを熟読しないと謎が解けない(解きにくい)仕組みにすることで、謎を解き終わる頃には学部のこと・大学のことをそこそこ知り尽くしてしまっている、という結果オーライ的謎解きキャンペーン。全問正解すると結構グッとくる賞品が抽選でもらえます。


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[STAFF]
プロデューサー|石坂賢二(株式会社JBN
企画・演出|長峯亘(株式会社ジョッガ)
Webデザイン|朝比奈利奈(TERRACOYA)
謎問題制作|小島弘光(株式会社エクスライト)/長峯亘(株式会社ジョッガ)
映像撮影|竹節友樹(LODE Film)
映像演出|月原康智(株式会社ジョッガ)
スチール撮影|HANAEN

【演劇】『私たちの街の記憶』における誰なんだ君たち、な快感

March 10, 2014 12:28 PM jammy  演劇

ネオンホールプロデュース公演の演劇作品、もうひとつは『私たちの街の記憶』。ちなみに『マッチ売りの少女たち』の感想はコチラ。

ワークショップ創作演劇「私たちの街の記憶」
■作:出演者
■構成・演出:西村和宏
■出演=いけだはるひこ、市川しをり、大村一仁、加藤亜紀歩、小林日香里、小林寛和、ゆかり、高橋詩織、土谷紘子、松山由美

ワークショップ参加者の実体験を基に、参加者自らが戯曲を書き、キャストを決め、自身も演じるというスタイルで創作した作品をオムニバス形式で上演。とにかく知らないことだらけの1時間。

まず出演している役者さんのほぼ半数を知らず、知っている役者さんのプライベートな一面を知らず、何よりこういうスタイルの創作があることを知らなかった。いや、知っていたけれど、そのやり方は稽古の過程にある、ほんの一部分の、モノを成立させるための行為だと思い込んでいた。その行為をほどほどに、軽く、ざっと、ちゃっちゃと整えて、えいやっと、ガサっと、そーれっと、舞台に放り込んできた。その手口がちょっとショッキングですらあった。まだまだケバっぽいし、雑然とした盛り付けだけど素材本来の旨みを楽しんでくださいって言われてさっと湯通ししただけのたけのことか見たこともないキノコが山盛り出てきた時のそれに近い。なんかそういう、何者なのかよくわからない人々が自分の知らないところで生きてきて体験したワンショットをぶっこまれた。

自身に起こったエピソードを描いた作品に本人が本人役として出演しているので妙に生々しいわけだ。知らなくてもいいことまで強制的に飛び込んでくる。役者さんと客席にはそれなりの距離があるものの、そんな距離は何なりとまたいで客の近くまで迫ってくる。あんたの恋愛話なんか知らねぇよ!君の辛かった話なんぞ興味ないよ!誰なんだ君たち!という思いなんか軽々と蹴散らしてくる。そして気付けばじっと観ていた。誰なんだ君たちと思いながら。少し笑ったりした。そして色々と感心したりもした。創作する上で感じる「恥」のようなもの。その「恥」を作品の核として、そこから広げるという手口。容易いようでこれなかなかの勇気。

自己肯定感、なんていう言葉を最近チラホラ耳にするようになり、『私たちの街の記憶』も作り上げる中でそこに近しい気持ち良さや安心感があったのかなと。自身に巻き起こったアレやコレやの渺々たる出来事をモミモミして、西村演出に揃えていったら作品となったわけだから。誰なんだ君たちと思われていたのに、1時間後には昔から知ってる人のような、あぁいい人生かもしれませんねぇと思わせるような、そういう肯定感と親近感を抱かせる手口。昔『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』という番組があったのだが(観たことないけど)、まさに『西村和宏にはダマされないぞ!(そしてダマされた)』という、痛快な創作演劇でした。それぞれの上演内容はプライベート満載なのでそっとしておこう。

ただあれ、料金取って上演しなくてもよかったのではないかな......。もっとオープンにさまざまな人に見せることで、演劇入門じゃないけど、「あ、ちょっと楽しいかも」というきっかけのきっかけくらいにはなりそうな気も。

【演劇】『マッチ売りの少女たち』は果たして臆病な猫なのか

March 10, 2014 9:24 AM jammy  演劇

ネオンホールプロデュース公演の演劇作品『マッチ売りの少女たち』と『私たちの街の記憶』を真剣に観た@ネオンホール(長野市)。『私たちの街の記憶』の感想はコチラ。

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■原作:別役実
■作:平田オリザ
■演出:西村和宏


■出演(*主婦A、Bはダブルキャストでの上演)
初老の男 土井れーじ
その妻  ミズタマリ
マッチ売りの少女
A あおやぎまゆみ
B 唐木さやか
C バンアカネ
少年  丸山耕平
市役所の課長 岡村二郎 
職員  中牧浩一郎
主婦A 紺乃星(星組)/佐藤和子(月組)
主婦B クランシー京子(星組)/ムラタヒロミ(月組)


<あらすじ>
「私、あなたの娘です。」
 そう言って平穏な老夫婦の食卓に次々と現れる少女たち。
しかし、夫婦の1人娘はとっくの昔に事故で死んでいた。
戸籍課の職員や近所の主婦まで駆けつけ、話は大きくなるばかり。
一体誰の言う事が真実なのか--。
別役実初期作品をコラージュした不条理劇


青年団演出部に所属しながら、四国学院大学の助教として学生に演劇やコミュニケーションについて教えている演出家・西村和宏さんが、市民と共にひとつの作品を作り上げる地域演劇創作プロジェクト(こんな名前じゃないけど)の6回目。今年はワークショップオーディションを経て選抜された10名が出演した『マッチ売りの少女たち』と、参加者が実体験を基に脚本を書き、演じる『私たちの街の記憶』の2本立て。恐らく参加者のほとんどが、演劇は趣味として嗜む勤め人や学生ばかり。

■あの夫婦は少女たちを待ちわびていたのか?
『マッチ売りの少女たち』。2週間連日連夜の稽古を経て作り上げた、90分の不条理劇。

夜。アールグレイを飲みながら他愛もない会話をする夫婦。娘を事故で亡くし2人きりの暮らし。特に何もない、平穏で、無音で、無味な日々。さして面白くもない話を、さも面白い話のように話す夫と、さして面白くもない話ですら笑顔を見せなくては「やっていられない」と言わんばかりの妻。何のノイズもない夫婦。そんな家。
そこに次々と現れる3人の少女と1人の少年。「あなたたちの娘です」「あなたたちの息子です」と言いながら。困惑する夫婦。いつの間にか街中に広まる、噂。噂を聞きつけて現れる市役所戸籍係の課長と職員。町内会の存亡を危惧しながら、回覧板を回すことに命を削る主婦Aと、夫婦に保険を薦めることが定めとすら思っている主婦B。静かな夫婦の暮らしに現れるノイジーな奴ら。果たしてこの子たちは、私たちの娘なのか。息子なのか。市役所職員は私たちの味方なのか、敵なのか。主婦は私たちの仲間なのか、野次馬なのか―。

不条理の「こっち側」にいる夫婦と、不条理の「あっち側」にいる少女たちが繰り広げる一幕劇は、不条理の上に実存的で本質的な(実存的で本質的な時点ですでに不条理なんだけど)台詞や舞台美術をゴソっと乗せて進行する不条リアル演劇だった。会話の端々に生っぽい台詞と記号的な台詞が混在しながら丁々発止のやり取りを見せつつ、本流はとことん不条理。現代口語演劇というリアルな息遣いを舞台に乗せる手法と、ベケットばりに荒廃したぬわっとした不条理性が、物語と言える物語もないのに「語ってしま」い、「見続けてしま」う推進力になっていた。

■夫婦が揺らめく「あっち側」と「こっち側」
登場人物10人が不条理の「こっち側」なのか「あっち側」なのかがだんだんわからなくなっていくさまがとても愉快。特に夫は首尾一貫して「こっち側」の人で在り続けるが、結局お前が1番不条理なんじゃねぇの?という気もしてくる。少女たちというノイズを拒否すればするほど、ノイズは大きくなる。耳を塞いだ手をそっと離し、ノイズに耳を傾けようとすると、少女たちは「逃げろー!」と叫んで姿を消す。夫が少女たちに歩み寄ると、彼女たちはスっと身を引く。「あっち側」と「こっち側」が交じり合い、すべてが不条理になりそうで、ならない。いい。西村さん曰く「少女たちは"運命"でありそれを受け入れるか入れないか、という事なんじゃないかな」と。なるほど確かに。

妻が「あっち側」と「こっち側」を揺らめくさまも楽しい。お茶のことばかり気にする妻。お湯が沸いているかばかり気にする妻。それは何の味もない毎日の中のありきたりな単なる行為ですらない。ただそういうこと、としか彼女は思っていない。そこに少女たちが現れる。妻はノイズを求めていたのか、じりじりと「あっち側」に片足を突っ込んでいく。「この子たち、私たちの子供なんじゃないかしら?」と、真剣な眼差しで夫を見る。きっと娘が死んでから、ただの一度だって夫に向けてこんなにも熱く哀しい視線を投げかけた事などないのでは、というほど不条理な「あっち側」の人間の目で。ズブズブと「あっち側」に埋まっていく妻。それを「こっち側」に引っ張り戻すのは夫ではなく、ただ理不尽でお節介な「こっち側」にいる五月蝿い主婦たち。回覧板、町内会、保険。そんな「こっち側」で起こる瑣末だけどちょっと面倒なアレコレが、妻をぐっと「こっち側」へと引き戻す。

■世の中はとても臆病な猫であると中島みゆきは言った
少女たちの哀しい過去。少年の痛ましい過去。その過去が事実なのか嘘っぱちなのかは、どうだってよい。嘘なら嘘でいいじゃないか。事実なら事実でいいじゃないか。彼女たちはこの舞台におけるアイコニックなそれとして存在し、3人それぞれが見事に少女を演じ切っていた。不条理の入り口をこじ開ける少女A、不条理の中で(良い意味で)軽々しさをもたらす少女B。嘘か真実かわからない数々のエピソードで場を翻弄しまくり、挙句の果てにビンタされる少年、最後に現れ不条理の出口を作り出す少女C。あの華々しさとほの暗い過去のズレも、恐らく不条理性のひとつ。

街の噂を聞きつけて現れるのは市役所戸籍係の課長と職員。不条理の中にあるナンセンスやユーモアを司る役回りだと思って観ていたら、どうやら違った。確かに笑いを取るシーンは多々ありつつも、課長が放った「目に見えないモノを浮かび上がらせる覚悟」という「こっち側」っぽい手触りの台詞をきっかけに、物凄い勢いで物語が動き出す。停滞したそれを力づくで蹴飛ばすような、暴力的な「こっち側」の言葉。

そしてラスト。少女たちもいなくなり、市役所職員もいなくなり、主婦たちもいない家。「ススメー!」「ニゲロー!」の号令と共に走り出す夫婦。薄く薄く聞こえてくる中島みゆきの『世情』。動き回る夫を一瞥し、椅子に座った妻が徐ろに独唱。

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする。

変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする


再び現れた少女たちと妻が歌い、課長と職員は戯れ、主婦たちは笑い合う。目の前にある「あっち側」の世界を、へたり込みながら眺める夫。溶暗。

■ローカル役者と演出家の座りの良さ
上演台本にはないラストの演出で少し傷つき、今でも頭が熱っぽい。なぜ中島みゆきの『世情』だったのか。そこばかり考える時間というのもあった。BGMで『世情』が流れるのではない。妻と少女たちが歌った。あのシーンに物凄い意味が込められている気がしてならなかった。終演後、西村さんのアフタートークではそこに言及するようなお話はなかったが、ひとつ「あ、これかな」と思わせるお話もあり満足満足。僕の予想とまったく違ったところも含めて、余白の多い豊かな演劇作品『マッチ売りの少女たち』であった。『世情』の、

包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる

という歌詞のように、『マッチ売りの少女たち』という嘘を見破ってすべてわかったような事を書きながらも、何一つわかっていないんだろうなぁ。

妻役・ミズタマリさん(theeでおなじみ)の場を制圧する演技力と、市役所職員役・中牧浩一郎さんの聞かせる芝居に感服。職員が被爆者であることを語るシーンは本当に素晴らしかった。
夫役・土井れーじさん(theeのヤクザでおなじみ)のゼロな感じの演技(ゼロというのは、ブレずにメーターが常に一定であるという賛辞です)と主婦役のムラタヒロミさん(theeのスパゲッティでおなじみ)、クランシー京子さんのまくし立てるあのちょっとイラっとする感じも、紺乃星さん、佐藤和子さんの噂好きな主婦感も(あぁこういう人いるいる感が「こっち側」と「あっち側」の段差を増幅してました)、課長役・岡村二郎さんの飄々とした中にチラ見せしてくる凶暴性も、少年役・丸山耕平さんの腹に一物ありそうでどこか愛らしくもふてぶてしい少年も、そして少女たち個々のキャラクターもすべてがまるっと収まり良く仕上がっていて、何よりも西村さんの演出力の賜物なんだなぁ、といった具合。なんとも座りの良い演劇作品でありました。

また来年もこの企画、ありますように。


2013が終わるんだそうだ。えー!

December 31, 2013 4:53 PM jammy  最近のこと

今年の頭に何気なく掲げた「全力でふざける」という目標を、演劇をもって完遂したような、そんな2013年でありまして(って書いたけど演劇はそんなにふざけてなかった。命がけだったので毎公演終わるごとに4歳ほど老けた気がする。1年で3本4本やったから、もう15歳近く老けたことになる。演劇的な2013年振り返りはまた別の機会にクソ長々と書き残したい)、振り返ればそりゃ不穏な気持ちになるような出来事もあったのでしょうが、あまり思い出せない。さりとて忌々しきさまざまを思い出す間もないほど愉快で満ち満ちた日々であったのかといえば、そうでもない気がしないでもない。ドラマチックな年だったかといえば、それはそれでうむ、どうだろうかという気持ちである。喜びも哀しみも、過ぎてしまえばそう悪くない。
一方で労働はといえば本年も実にさまざまな人々と、さまざまな領域においてディレクションをし、ライティングをさせて頂いた。番組を作り、文案を捻り出し、物語を創造し、取材をして編集をしていたら気が付けば年末であった、というなんとも幸せな労働。皆様に感謝。
とにかく沼の底から引っ張り出して頂いたような、石の裏側からつまみ出されたような、陽のあたる明るいところへと引き摺り出されたような1年であったことだけは違いない。納めてしまうには勿体無いような気もする。境目はなるべく濁し、2013を引っ張りながら、納めぬままのぬるりとした感覚で、2014を迎えることとしよう。



写真撮ったら、サンタクロースが写り込んでいた。

December 25, 2013 2:39 PM jammy  気になったこと

撮影で高原へ出掛け、何の気なしにiPhoneで雪景色を撮ったら何かが写り込んでいた。赤丸部分。

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※クリックで大きな画像でます。


サンタじゃね?


長野でフリーペーパーがふわりと増えている。

December 12, 2013 11:35 AM jammy  長野

長野にフリーペーパーが増えた。
事務所のチラシ置き場にも結構な数のそれが積まれているし、ハケ率もそこそこ高い。長野のカルチャーやライフスタイルを取り上げる『日和』のような総合誌的フリーペーパーが置かれていれば「なんとなく」手にしてしまう。そしてその「なんとなく」の行動パターンに持ち込めるか、それがフリーペーパーの明暗を分ける。R25だって、ただ「なんとなくあれば」「ラックに残っていれば」手に取るわけだし、フリーペーパーってそういうもんだなぁと。

で、ここ1年2年で特に増えたと思うのはそういう総合雑誌ライクで「なんとなくあれば手に取るし、読んだら読んだで面白い」フリーペーパーではなく思いっクソ「振り切った」専門誌的フリーペーパーだ。確実に「意志を持って手に取る」「興味があるから手に取る」タイプのフリーペーパー。
『SPO COLOR(スポカラ)』、『Nスポーツ』は長野のスポーツに特化したフリーペーパーだから、スポーツが好きな人は意志を持って手に取るだろうし、『ANTENNA』は音楽のことしか書いていないから、音楽がうるさいものだと思っている人は「なんとなく手に取る」なんてことはない。ペットに振り切った『PETMOTTO(ペットモット)』も、犬猫に興味がある人には相当刺さる。振り切れ具合の1番端っこにいる『鶴と亀』に至ってはお年寄りをコンセプトにしたフリーペーパーだ。ちなみに総合誌と専門誌の間に居座るのが『チャンネル』で、あれは総合誌のような顔して毎回のテーマがかなり振り切れている。見た目クールで優等生だけど、喋ったらすごいバカだった(いい意味で)みたいな。以前確か「奇祭」を特集していた気がする。何だその目のつけどころ。とにかくジャンル特化の波が地方のフリーペーパー界に押し寄せているじゃないか!お年寄りとか!

フリーペーパーを作る余裕っていうか、何かしら発信したいという想いっていうか、そういうのがぬるーっと、じわーっと染みこみつつあるのかなぁローカル、という。結構手間暇掛かるけど、それでもフリーペーパーをやる意味とか意義も興味深いなぁ。そこにスポンサードする企業の思惑も含めて。

こんな感じで随分と賑やかな長野のフリーペーパー事情にグッと切り込んだ特集が、信越放送『SBCニュースワイド』内で12月13日(金)に放送されるそうですよ。事務所のチラシ置き場を撮影しに来たSBCさんをヒマそうに見守っていたらうっかりインタビューされたので、まさかの僕も出ています(多分)。しかも最近のフリーペーパーについてうっかり総論的なことを喋ってます。本当、何様のつもりか。すみません。
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welcome to happy set by jogga
ジョッガ代表がhappy setな調子で謳い、綴っています。

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