July 27, 2010 12:08 AM yuzzy diary
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名前はその人自身の歴史であり未来であり、
逃げることの出来ない現在だと思う。
だからこそ、納得いかない名前がつけられているものに
私は過剰に反応してしまう。
そう、マンモグラフィーの話だ。
乳ガン早期発見のための検査の一つなのだが、
何故、乳房の検査がマンで始まるのかここ数日ずっと悩んでいる。
ラテン語で乳房を意味する『マンマ(mamma)』との造語らしいが、
そんなことはどうでもいい。
出来れば、いや、絶対に。
そのイントロは子宮検査に使うべきだと思う。
その流れで言うと。
私は残念ながら容姿がうさんくさいこともあり、
新宿で自転車に乗っているとよく警官に止められる。
窃盗に関する本人確認のための停車なのだが、
実はそんなに育ちが悪くない私は素直に応じる。
ところが、だ。
例えば自転車に貼ってある防犯登録ナンバーが
「新宿C 2414-××××」みたいな番号だった場合、
いつも無線機に向かってその警官は
「シンジュク、チャーリー、2414・・・」と本部に確認を要請する。
なんでそんな自転車確認で「チャリ」って聞こえる言葉を使うんだ、と。
なんでそんな美しくないことになんねん、と。
どうも調べると聞き間違いを防ぐための無線用語らしいのだが
(A=アルファ、B=ブラボー、C=チャーリー、D=デルタ・・・)
そこはチャーリーは止めよう、と誰かが勇気を持って言わないと。
そういうちょっとした「被り」は美しくないじゃないか。
まあそう怒りながらも最近買い換えた
私の自転車はシンジュクブラボーなのだが。
ブラボー!
July 23, 2010 11:21 AM yuzzy diary
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間違ったことを言うのは慣れている、極論だとしかめ面されることも。
しかし悪役と罵られても叫ばなければいけないときがある、
だって私は男の子だから。
さてっ。
前回、ATMに関する許せない話を書いたのだが
今回はATMの逆、人間側の話だ。
私はATMで現金を下ろす際、いつも5万円と決めている。
もちろん必要に応じて増えることもあるが、
基本的に普段の生活での出金は5万円である。
逆に言えば、何故みんな5万円じゃないのか、と思う。
5万円あればしばらくは過ごせるし、
ATMに行った回数で下ろした金額がわかる。
何より通帳で見たときの羅列バランスが圧倒的に美しい。
あるいは時間外手数料だって細かく下ろすよりは絶対に安く済む。
それに25日や月末恒例の行列も、
みんなが普段から5万円下ろす習慣が根付いていれば、
ほんの少しは解消されるはずだ。
これを人に説くと
「必要じゃない額以上を下ろすと無駄に使ってしまう」と
返答をもらったがオカマか、と思う。
たくさんあるからあるだけ使うって、
完全に食べ盛りのネコの食い方じゃないか。
結論―。
貯金が一桁の場合はその限りじゃないが、
10万円以上あるのなら、ATMの最低出金金額は5万円からでいい。
July 16, 2010 8:10 PM yuzzy diary
梅雨の晴れ間が目立つ日々。
問題はATM、それも銀行にあるのではなく、
コンビニや出張所的なところでいつも起こる。
あれ、色々情報を聞くだけ聞いておいて最後の最後に
「申し訳ありませんが、このカードは(時間帯は)お取り扱いできません」
みたいな表示が出て、カードが返却されるときがある。
最初に言わんかい、と。
あれだけ私に気がある素振りを見せていたじゃないか、と。
なんなんだ、あのテクニックは。けしからん。
暗証番号や金額、ときには電話番号。
思わせぶりな言葉でプライヴェートを次から次へと聞かれると、
これはいけるのか、と勘違いしてしまうではないか。
遊びなら最初に言って。
そして近づいてこないで。
謝罪なんていらない、余計、惨めになるから。
こんなに好きにさせといて、
勝手に好きになった、はないでしょう。
July 9, 2010 2:33 AM yuzzy diary
ワールドカップ朝ニュースの仕事が終わり、久しぶりに平穏な夜。
これからはやっとカタギの生活に戻れそうだ。
さて私が小学3,4年の頃、
男友達の間で「封筒」を送る謎のブームがあった。
別に気の利いた手紙を書くわけではない。
それこそ中身は何を送ったのかすら記憶にない。
ただ単純に切手を貼ってポストに投函し、
それが自宅に配達される社会の仕組みが子供心に楽しかったのだろう。
そんな中、誰かの知識により
「郵便番号さえあれば住所の前半は不要」ということがわかり、
逆に言えば「郵便番号さえ合っていれば無事に届く」ことがわかった。
そこで今度は「いかに住所を面白く書くか」という
本当に郵便局泣かせなくだらない遊びなのだが、
そこに関心は集中していった。
もちろん町名や番地をいじるとさすがに届かないので、
県の上、当時の私たちで言うと「兵庫県神戸市」の前に何かを付け始めた。
ある者は「日本兵庫県神戸市」と書き、
ある者は「地球日本兵庫県神戸市」と書いた。
男の子たちの遊びはやがて「冠」をどれだけ増やせるか、
という発想の『勝負』に変わっていく。
「銀河系地球日本兵庫県神戸市」など冠が増幅する中、
私はどこでどうなって、何故そうなったのかもわからないが
「無兵庫県神戸市」と書いた。
(む)なのか(なし)なのかは記憶にないが、
確かに小学生の私は「無」と書いたのだ。
その解に特に深い理由などなかっただろうが、
今日、いきなりその「無」の文字を思い出し、
案外深いぞこれ、と色々色々考えさせられてしまった。
もちろんその手紙がどうなったのかは覚えていない、
その中に何を入れていたのかも。
本当に送りたいものなど始めからなかっただろうし、
宝物があったとしても、たぶんそれをそう呼んでいただけの話だ。
ただその手紙の宛て先が数十年後の私だったのだ、と今気付いて、
だからつまり、あの時の勝負はやっぱり私が勝っていたのだ。
July 4, 2010 4:30 AM yuzzy diary
知人がねづっちに関する何かの仕事をしていて、
ふと私もどちらかと言えば"うまいこと言える方"だと思う。
いや、正確には"だからこそなるべく言わないようにしている"という感じだ。
「うまいこと言う大学(うま大)」か
「うまいこと言わない大学(うな大)」で言えばたぶんうま大卒だし、
カレーで言えば甘口辛口ではなくうま口になると思う。
思いつく、思いついてしまうのだ、うまいことが。
無理にそう考えなくても自然と頭に浮かぶ。
故意にするわけではなく、
気がつけばそうなっているような、例えば恋のように。
ほら、また、でたよ。かかっちゃった。
言葉を図形として捉える、というかちょっとした分解力だと思うけど、
一歩間違えばオヤジギャグ的な何かと言われそうで、
そうなるとやはり出来るだけ言わないが正義だ。
このエントリーとかけて童貞の初デートと解く。
そのこころは「言う気(勇気)がない」
ゆじっちです。