April 25, 2011 11:08 PM yuzzy diary
薄紫色のセーターは僕のお気に入り。
僕のお気に入りだから人生で初めて
クリーニング屋に持って行こうと思う。
でも、初めてだからシステムがよくわからない。
素材の、例えばそれが綿だ絹だなんて僕は知らない。
群れを離れた鳥のように、いつだって僕は何も知りやしない。
一体、僕は何を聞かれるのだろう。
素材、サイズ、セーターにまつわる思い出。
とにかく何を聞かれても困らないようにしないといけない。
だからインターネットで調べたんだ、
まずは「クリーニング業」の仕組みについての基礎知識。
ドライクリーニングは、こぼしたランプの油が
テーブルクロスの模様を消すことに気付いた
ジョン・ジョリさんがきっかけで始まったらしい。
ジョン・ジョリ、通称J2。知らないけど。
その後は「ウールマーク」の歴史について。
デザインはイタリアの著名的グラフィックデザイナー、
フランチェスコ・サロリアさんのもので、
現在は140ヶ国で使用されているんだって。
僕は歴代CMコピーの幾つかを紹介する。
「生きている、それがウールなんだ」
「とっても、ウールな人でした」
「ウールは、ゆっくり夢をみる」
何だか肌触りが悪く感じるのは僕だけなのかな。
まあいいや。もっと勉強をしないといけない。
だって僕は明日、お気に入りのセーターを
クリーニング屋に持って行くんだから。
怖い。怖いけど決めたんだ。
それは色落ちしない勇気。
人生で初めての、僕の選択。
April 19, 2011 1:04 PM yuzzy diary
春だ、まぎれもなく春だ。
と言うことで「浮気の回数」による境界線を考える。
以前は浮気回数0回、1回、2回、3回、4回、5回・・・とある中で
その境界線は【0/1.2.3.4.5・・・】と「0と1」の間にあると思っていた。
わずか1回増えるだけでも「0と1」と「3と4」では
その意味合いが、重みが明らか変化すると信じていた。
ところが最近、その発想が少しずつ変わりつつある。
本当は「1と2」の間にこそ、
一番大事な境界線があるんじゃないか、と。
「たいていの男たちは、
誰も彼らの妻をかっさらってくれないことを嘆く」
とは哲学者ニーチェの言葉だが、
男なら、いや女にとっても「0と1」の間には
壁、というより少しだけ魅力的な好奇心の柵がある。
それはとってもスケルトンの、それはとっても低反発の。
そして何かのタイミングで、
そこを踏み越え誰かを傷つけてしまう。
これが「0と1」の境界線を越えた瞬間。
そして私が言う新たなラインはその後、
深く反省したそぶりを見せながら「1と2」の扉を開くほうが
よほど罪深く、よほど悪質という考えだ。
一度も浮気していない人間よりも、
一度浮気して、以降していない人間の方が
何だかんだ考えると信頼に値すると思う。
どうだろう、この案。
別に何もプライベートであったわけじゃないけど。
と言いつつ、私は「一切浮気しません」と公言するような
女性はあまり好きではない。
何かの歌詞じゃないけれど、
退屈すれば「ちゃんと」浮気するような人に惹かれるし、
いろんな男にいつも誘われるだけ誘われて
ついていかない女性が一番好きだ。
自分の彼女が目の前でナンパされていたら、
それはもう、ちょっとした風俗だ。
きっと私はそのタイミングで、
もっと彼女を好きになる。
別に何もプライベートであったわけじゃないけど。
余震が続く。
この先も震度6,7クラスのものが起きるという。
これ以上、特に被災地に余震は起こって欲しくないし、
起こったとしてもなるべくなら小さな方がいい。
その一方で、いつも想定は震度一桁を口にするけど、
震度40が起きたらどうするんだ、と思う。
震度7500が起きたらどうするんだ、と思う。
震度40が起きた場合、震度5の8倍の水を、
8倍の電池を用意していたって、たぶん無力だ。
死ぬというのは思っているより痛い。
いままで体験した痛みの8倍より、たぶん痛い。
そうなると結局、本当の意味での防災対策というのは
水や電池を用意することだけではなく、
日々を悔いなく生きることだと思う。
出来る限り死なない努力が一番大事だけど、
万が一、そうなったときに出来る限り悔やまない毎日だったり。
例えば、恋をしよう。
恋のいいところは、階段を上る足音だけであの人だって分かることだ。
人間は脆い。
今回の地震で本当にそう思う。
武者小路実篤風に言えば、
やはり人間は神が創ったとは思えない。
神が創ったものとしてはあまりに人間は無情すぎるし、
色んな意味で不完全すぎる。
でも、もし。
自然が生んだものだとしたら、
あまりに傑作すぎるように思うのだ。
神は知るだろうか、日本人のこの祈りを。
April 7, 2011 2:27 PM yuzzy diary
【モテる女子へのキーワードは「半タメ口」?】なる記事を拝見。
悔しいけどわかる。
わかりすぎて涙が出る、出ないけど。
いまいち年齢を重ねている自覚がない私だが、
本当にこの「半タメ口」に喜ぶようになった、という
一点においてのみ完全に加齢を認めざるを得ない。
昔なら考えられなかった。
年下女性にタメ口を使われようもんなら、前蹴りか頭突き。
ただその打撃は使った女性よりも、
使わせた私のオーラの無さへと向かっていった。
それが32歳、今はどうだ。
実際の会話でも、メールのやり取りでも。
年下女性からふとしたタイミングでタメ口が出ると、
ちょっとしたグッチを買い与えたくなる。
言うところのタメグッチだ。
完全におっさんだな、と思うし、
まあ実際に完全なおっさんだからいいのだけれど、
やはり日本男子としては、もう少しきりっとしなければ。
ってただこういうことを言うと、
ちゃぶ台をひっくり返すような発言なのだが、
結局、これってキレイな・カワイイ女性限定だよな、とも思う。
そうじゃない人にやられると、たぶん今でもドロップキックだ。
まあさらにひっくり返したちゃぶ台をもう一度ひっくり返すなら
キレイな・カワイイ女性ならタメ口が出なくても、
それこそ黙っていても、ちょっとしたプラダを買い与えたくなるけどね。
つまりこのエントリーは最初から何も言っていないのと同じ、
まるでそれは元に戻ったちゃぶ台のように。
イラッ締め。
反原発論が盛り上がっている。
ドイツでは20万人規模のデモが開かれ、
先日、銀座でも同様のものが行われた。
(これは震災前に決まっていたデモだが)
共同通信が先週末に行った調査では
「減らしていくべきだ」「ただちに廃止」が46.7%、
「増設」「現状維持」が46.5%、と世論は真っ二つに分かれている。
それでも体感的には「反対」が多いような気がするし、
今回は都知事選にさえその影響が及びそうだ。
それはそれでいいと思うし、今はそうだろうな、と思う。
でもその文句に「子供の未来のために」という言葉を
使われると、私には少しだけ違和感がある。
「地球のため」「今回の地震で得た教訓のため」それならわかる。
ただ「子供のために」と言われるとすっと冷めてしまう自分がいる。
電熱ストーブのコンセントを一気に引き抜いたような、
余熱を残しながら冷めていくあの感覚に近い。
その原因は私に子供がいないから、ではない。
私が小さい頃は子供だったから、だ。
私の親、あるいはその親は「子供の未来のために」豊かな社会を夢見た。
寝る間も惜しんで仕事をして、現実に活気ある日本を作り上げた。
そしてそれは原発無しではきっと達成できなかったんだろう、と思う。
だからこそ、原発の全てを「子供の未来のために」否定するのは
なんとなく引っかかる。
「子供のため―」確かにそうなんだろう、本当に、絶対に。
でも確実に「子供の未来のために」原発を懸命に作った人や、
それを信じていた時代があったのだ、きっと。
だからやはり全てを手放しに、は出来ない。
今回のケースや死刑制度の問題など、
意見が100対0にならないことはいつだってある。
そして大切なのは大多数に回ることではなく、
他人の意見に惑わされない自分の考えを持つことだと思う。
ただ少なくとも個人的には、極個人的には、
ロウソクの明かりを死に化粧にこの世を去るぐらいなら、
電気椅子に乗ってビリビリいきたい。
我々は人間である前にヒトであるのかもしれないが、
ヒトである以上に人間なのだから。
ダーウィンの進化論は、個人の思想でねじまげられるべきではない。
そして私は猿のように今夜も自家発電するのだ。
第一希望しか見えないぜ、不死身のエレキマン。