July 26, 2011 9:19 AM yuzzy diary
work
日曜日から始まったテレビ朝日「世界水泳」の仕事。
夜出社~朝帰りという昼夜逆転の生活が1週間続く。
さて。
数日前、一緒に仕事をやるAD君が初めて登場、
チームには私以外に3人のディレクターがいて
みんな一斉に挨拶した。
30分後、AD君の机の上。
彼のノートが開いたまま置いてあった。
そこには私を含む3人のディレクターの名前と、
一言、外見的な「特徴」が書かれていた。
つまり彼1人を覚えるだけでいい私たちと違い、
彼は一気に3人を覚えなければならず、そのメモ書きは
顔と名前を一致させるための彼なりのアイデアだったのだろう。
Aさん 長身・細身
Bさん 小柄
とあったあと、最後に私のことが書いてあった。
Cさん(私) 武闘派
誰が武闘派やねん。
明らかに俺だけおかしいやんけ、と。
俺だけちょっと思想的なことも入ってるやん、と。
「よろしくお願いします」の挨拶だけで
武闘派に分類されるとは思ってもいなかった。
別に「ヒゲ」でいいと思うし「茶髪」も私だけだ。
それより、意外とまつ毛も長いし
目もガチャピンみたいなトロンとしたまぶたをしてるので
絶対に「武闘派」ではないだろう。
まあいい。丸く見られるよりは余程いい。
さ、今夜も準備して戦場に向かうか。
July 17, 2011 12:19 AM yuzzy diary
先日、アメトーークで「絵心ない芸人」という
テーマでの放送があった。
知っている人は知っていると思うが、私はまあ絵心がない。
30歳を越えてからはそれを冗談、というか
諦めとして口に出来るが、多感なころはちょっとした
コンプレックスでもあった。
物理や数学などは自ら手を挙げて意見が言えるのに、
とにかく美術の作品発表などが嫌で嫌で。
それを逃げ切るための青写真すら上手く描けなかった。
今でも絵が上手く描けるぐらいなら、
それ以上に上手く伝わるような文章を書きたいし、
それ以上に上手く伝わるような話術が欲しいと思っている。
ただもう少し絵IQが高ければ、表現者として何か
幅が広がるんじゃねえか、という気持ちも無くはない。
それにしても、絵が下手な人の描き方が
見事に私と一致していて少し笑った。
動物を描いたら絶対、左向きでこっちを向き、
顔から肩、腕にかけて「線の描き方」の戸惑い具合も完全にわかる。
「自転車に乗った人」を描くときに
どこを拠点として描いていいのか迷うのも、まさに私だ。
なんだろう、絵が下手って。
想像力や構成力や表現力、あるいは空間認識なんて
こんな仕事してる以上、多少は鍛えられているはずなのに。
まあ一番は、そもそも上手く描こうという
気持ちがないことなのだろうけど。
ってことでネコ描いてみました。
にゃー言うて寄ってくるやつ。
July 4, 2011 1:32 AM yuzzy diary
私はとてもネコが好きだ。
20歳を越えるまで犬もネコもウサギも幼児も外人も。
日本語が喋れない生物を私は一切嫌ってきた。
嫌ってきた、というと感情があるので違うか。
とにかくその存在にあまり関心が無かった。
雑草や郵便ポストと同じ空気感に彼らは所属していた。
21歳のとき、とある事情により初めてネコを飼った。
最後まで反対して、渋々受け入れた決断だった。
でも。
持っていかれた。その可愛さに根こそぎ持っていかれた。
何度も一緒に寝て、数え切れないぐらい遊んだ。
ネコを遊ばしているのか、
私が遊んでもらっているのかもわからないぐらいに時間を共有した。
以降、ネコは当然のこと、
犬にもウサギにも幼児にも外人にも少しだけ優しくなった。
それぐらい、私が初めて出会ったそのネコには
たくさんの愛情と感謝しきれない想いがあった。
とてもドジでとても物覚えが悪くてとても人懐っこくて。
だからとても愛らしいネコだった、本当に。
6年ほど前から別々に暮らすこととなり、
今日、そのネコが病院に行く、と聞き急いで駆けつけた。
ガンだった。
小さな身体に悪性の腫瘍が広がっていた。
医者の丁寧な説明を、
半分は理解して、半分は理解出来ないフリをした。
この先、どれだけ生きられるのだろう、と思う。
もしかしたら今月中に悲しい何かはあるかもしれない。
数年ぶりに対面したそのネコは私の顔を見かけると
注射を打った直後にも関わらず、
身体が一回り小さくなったにも関わらず、
その顔を私の手に摺り寄せてきた。
私のことを覚えている。
そんな場合じゃ、ないだろう。
私の中で、広がる広がる。
July 3, 2011 2:47 AM yuzzy diary
河童の話をしようか。
とてもライトグリーンな、あの河童の。
6月下旬の暑さはここ50年間で最高だったらしい。
その影響でもないが、今日の昼、
ちゅるちゅるっとコンビニの冷やし中華をいただいた。
最近のコンビニ冷やし中華は優れたもので
麺とスープは当然のこと、それぞれの具が
別々のしきりに分けられ梱包されており、
必要の無い具は混ぜ合わす段階で取り除くことが出来る。
つまりそこでキュウリ、である。
私は人生を30年以上も生きてきたが
いまだにキュウリを食べる意味がよくわかっていない。
まず美味しくない、という大前提があるが
それを理由に食べない、と言っているわけではない。
にんじんだってレバーだって、
味覚によっては不味に感じるものだって
栄養があればきっと人はそれを口にする。
話を急にキュウリに戻す。
全体の90%以上が水分で出来ているキュウリは
「世界一栄養が無い野菜」としてギネスに登録されるほど
その栄養的価値は低い。つまり食べる意味はあまり無い。
だからこそ、キュウリをパクパク食べている人を見かけると
「河童か、河童関係の方か...」と思ってしまう。
そう受け取らないと自分で説明がつかないのだ。
たまにキュウリ一本丸々、みたいな
河童丸出しの料理を見ると
顔が青白く、というより薄緑くなってしまう。
男なら河童ではなく天狗や鬼を目指したい。
ダンディズムはいつだって天狗のそばにある。
まあ、全く目指さないけど。